三大茶人(鈍翁・三渓・耳庵)遺愛の茶室「白雲洞茶苑」(箱根・強羅)を訪ねて|「生命と微量元素」講座<荒川泰昭>

「生命と微量元素」講座

寄り道・散歩

三大茶人(鈍翁・三渓・耳庵)遺愛の茶室「白雲洞茶苑」(箱根・強羅)を訪ねて

東京の奥座敷・箱根湯本温泉にて静養中、近代三大茶人(鈍翁・三渓・耳庵)遺愛の茶室「白雲洞茶苑」(箱根・強羅)を訪ねる。  2017年3月23日

三大茶人(鈍翁、三渓、耳庵)の茶室・白雲洞を訪ねて

三大茶人(鈍翁、三渓、耳庵)の茶室・白雲洞を訪ねて

三大茶人(鈍翁、三渓、耳庵)の茶室・白雲洞を訪ねて

三大茶人(鈍翁、三渓、耳庵)の茶室・白雲洞を訪ねて

三大茶人(鈍翁、三渓、耳庵)の茶室・白雲洞を訪ねて

三大茶人(鈍翁、三渓、耳庵)の茶室・白雲洞を訪ねて

三大茶人(鈍翁、三渓、耳庵)の茶室・白雲洞を訪ねて

白雲洞茶苑は、大正時代のはじめ、利休以来の茶人と称された鈍翁・益田孝 (三井コンツェルン設立者、男爵) によって建設され、箱根強羅の巨岩怪石の間に、深山の趣を保存しつつ山家の風情を濃く設えた白雲洞、不染庵、対字斎の三席の茶室群であり、中でも白雲洞は、翁の創案によるもので、近代数奇者茶人の間に流行した「田舎家の席」の先駆的な作例である。

そもそもの由来は、明治年間より、箱根登山鉄道(当時は小田原電気鉄道)による強羅地区の開発に絶大な協力をした三井物産・益田鈍翁の恩に報いるため、大正3年(1914)、 時の社長・草郷清四郎が完成した強羅公園内に翁の好む景勝地を提供したことに始まる。翁はここに形式的束縛から離れ、「深林中の山人の侘び住まい」を主題として、奇岩を活用した浴室・白鹿湯と野趣に満ちた茶室二庵(白雲洞、不染庵)を建設した。

大正11年(1922)、鈍翁はかねてより交流のあった三渓・原富太郎 (絹貿易で富豪、横浜を復興、美術品収集家) にこの茶室を譲り、三渓はこのとき新たに対字斎を増築した。そして、鈍翁時代からの岩風呂を「白鹿湯」と名付けた。三渓が逝った翌・昭和15年(1940)、三渓未亡人の希望によりこれら三席は耳庵・松永安左衛門 (電力王、松永コレクション創設者) に贈られた。

こうして茶室は、鈍翁・三渓・耳庵という明治・大正・昭和の3代を代表する3茶人(近代三大茶人と呼ばれる)であり、かつ明治・大正・昭和の日本経済の発展を推進してきた稀代の経済人たちに継承され、その遺構がここ強羅公園に現存している。
▼ 白雲洞

三大茶人(鈍翁、三渓、耳庵)の茶室・白雲洞を訪ねて

三大茶人(鈍翁、三渓、耳庵)の茶室・白雲洞を訪ねて

三大茶人(鈍翁、三渓、耳庵)の茶室・白雲洞を訪ねて

白雲洞・蹲踞

三大茶人(鈍翁、三渓、耳庵)の茶室・白雲洞を訪ねて

三大茶人(鈍翁、三渓、耳庵)の茶室・白雲洞を訪ねて

三大茶人(鈍翁、三渓、耳庵)の茶室・白雲洞を訪ねて

白雲洞・寄付

三大茶人(鈍翁、三渓、耳庵)の茶室・白雲洞を訪ねて

三大茶人(鈍翁、三渓、耳庵)の茶室・白雲洞を訪ねて

三大茶人(鈍翁、三渓、耳庵)の茶室・白雲洞を訪ねて

三大茶人(鈍翁、三渓、耳庵)の茶室・白雲洞を訪ねて

三大茶人(鈍翁、三渓、耳庵)の茶室・白雲洞を訪ねて

三大茶人(鈍翁、三渓、耳庵)の茶室・白雲洞を訪ねて

白雲洞

白雲洞

近代数奇者茶人の間に流行した「田舎家の席」の先駆的な作例

白雲洞

白雲洞

白雲洞

主室には囲炉裏を切る異例の構えと縁無しの畳という設え。床柱は耳庵時代のもので、奈良の廃寺より取り寄せた千年を経た奈良古材

白雲洞

白雲洞

白雲洞

天井に栗材のへぎ板を自由な工法で張って山家の風情を出している

白雲洞

白雲洞

白雲洞

白雲洞にて茶席(甜茶)

白雲洞にて茶席(甜茶)

白雲洞にて茶席(甜茶)

白雲洞にて茶席(甜茶)
▼ 不染庵

不染庵

不染庵・蹲踞

不染庵・蹲踞

不染庵・蹲踞

不染庵

不染庵

不染庵

不染庵

不染庵

不染庵

席内の明るさを抑えるため、外の土廂を低く長く作っており、そのため「にじり口」は不要として廃されている

不染庵

不染庵

二畳台目に四畳半の寄付が付属し、この寄付は相伴席の機能をあわせ持つ構成となっている

不染庵

不染庵

不染庵

丸畳二畳の客座と台目畳の点前座からなり、炉を台目切にした典型的な二畳台目の設えである

不染庵

不染庵

不染庵

二畳台目の隣に二枚の襖を隔てて四畳半の寄付を設け、相伴席の機能を兼ねている

不染庵

不染庵

不染庵

天井は栗材のへぎ板を張って山家の風情を濃く表現し、その張り方も伝統的手法ではなく、自由な工法で作られており、種々の工夫が席の細部にまで散りばめられている
▼ 対字斎

対字斎

対字斎

対字斎

鈍翁筆の対字斎の額

対字斎

対字斎

対字斎

対字斎

対字斎

対字斎

右側:水屋
主室
左側:広縁

対字斎

対字斎

対字斎  二代目の庵主、三渓・原富太郎の作った席

対字斎

対字斎

対字斎

初代の庵主 鈍翁・益田孝の書

対字斎

対字斎

対字斎

水屋
主室
右側:広縁

大文字山

大文字山

大文字山

広縁の正面から「大文字山」の大の字が見える

対字斎・広縁の外

対字斎・広縁の外

対字斎・広縁の外

対字斎・広縁から見た露地
▼ 対字斎・白鹿湯

対字斎・白鹿湯

対字斎・白鹿湯

対字斎・白鹿湯

対字斎・白鹿湯

対字斎・白鹿湯

巨岩の根元を掘り込んで作られた鈍翁時代からの岩風呂。二代目の庵主・三渓はこれを「白鹿湯」と名付けた。

対字斎・白鹿湯

対字斎・白鹿湯

対字斎・白鹿湯

対字斎・白鹿湯

対字斎・白鹿湯

▼ 箱根登山電車 & 箱根登山ケーブルカー
箱根湯本駅から強羅駅までの区間(標高差:445m 、8.9km)のうち、半分近い4.2kmが最急80‰(パーミル:1000m進むごとに80mを登る)という粘着式鉄道(普通鉄道)としては世界でも屈指の日本最急の勾配(約4.57°)が存在する区間があり、車掌と運転手が交代しながら3回のスイッチバックで登る。

箱根登山電車 強羅駅

箱根登山電車

箱根登山電車

箱根登山鉄道 (箱根湯本駅〜強羅駅)

箱根登山電車

箱根登山電車

箱根登山ケーブルカー 公園下駅

箱根登山ケーブルカー

箱根登山ケーブルカー

箱根登山ケーブルカー

箱根登山ケーブルカー (強羅駅〜公園下駅)

PageTop