先祖の足跡を訪ねて −15代目(高重より嫡流3代目)・權右衛門の娘たちの嫁ぎ先−|「生命と微量元素」講座<荒川泰昭>

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先祖の足跡を訪ねて −15代目(高重より3代目)權右衛門の娘たちの嫁ぎ先−
15代目(高重長右衛門より嫡流3代目)・權右衛門(寛保3年生)には、嫡男・16代目(高重より4代目)・禎助權之S(寛政5年生)、次男・林二郎衛門(天保7年生)のほかに、藤枝(嘉永元年生)と美加(嘉永6年生)の2人の娘がおり、過去帳に記されているその嫁ぎ先を調べる。
過去帳には、藤枝:高田郡四日市・代田家に嫁す(熊谷直実の末孫)、美加:高田郡笹井村・本慶寺家に嫁す(大徳寺の末孫)とある。
■ 藤枝の嫁ぎ先:高田郡四日市・代田家(熊谷直実の末孫)
▼ 熊谷直実の末孫:
熊谷直実は桓武平氏:桓武天皇・平直方の孫の平盛方の子・平直貞(熊谷直貞)の次男。源平合戦の一の谷の戦いで平敦盛を討ち、勇名を馳せた。直実の孫・直国の子・直時は安芸国三入庄(現在の安佐北区可部町周辺)の地頭職を与えられ、直時の子孫が13世紀後半に三入庄に下向し、伊勢ヶ坪城を築き、そこを安芸熊谷氏の本拠地としている。また、直時は幕府の命令により所領の1/3を弟・祐直に譲り、祐直は三入庄に下向し、桐原新山城を築いて居城とした。

▼ 高田郡四日市:
明治22年の大合併前は高宮郡四日市村であったが、明治22年の大合併後は高宮郡亀山村となり、昭和30年3月31日、高宮郡三入村などとの合併統合により安佐郡可部町となる。

可部町

■ 美加の嫁ぎ先:高田郡笹井村・本慶寺家(大徳寺の末孫)
▼ 大徳寺の末孫:
元来、大徳寺は鎌倉末期(1315年)に大燈国師(宗峰妙超)により開創され、花園天皇と後醍醐天皇の厚い信仰を受け、豊臣秀吉や諸大名により建物や寺領も寄進された臨済宗大徳寺派の大本山である。現在、安芸高田(高田郡吉田町223−1)にある大徳寺の宗派は顕本法華宗である。

▼ 高田郡笹井村:
明治22年の大合併後、高田郡刈田村となり、昭和30年3月31日の合併統合により高田郡八千代村となる。現在、八千代町佐々井となっている。

▼ 本慶寺姓:
人名力:日本姓氏語源辞典
■ 人名力:日本姓氏語源辞典の特記事項には「広島県安芸高田市八千代町佐々井では僧侶が祖で本慶寺(ホンゲイジ:寺号)を屋号として使用した」と記されている。

八千代町佐々井

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