徳川2代将軍秀忠の正室・崇源院(お江)の供養塔(京都)を訪ねる ―京極家とのつながり―|「生命と微量元素」講座<荒川泰昭>

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徳川2代将軍秀忠の正室・お江の供養塔(京都)を訪ねる

学会&講演出張の帰途、京都在住の高校同級・木山克明君のドライブ兼案内で、徳川第2代将軍秀忠の正室・崇源院(お江)の供養塔、極楽橋&蓮池、金戒光明寺(京都東)を訪ねる。 2012年2月6日

金戒光明寺(お江の供養塔)

▼ 京極家と崇源院(お江)とのつながり
私の先祖である京極氏の本姓は宇多源氏宇多天皇の玄孫である源成頼が近江国佐々木庄に下向し、その地に土着した子および孫の章経、経方が佐々木氏を名乗ったことから始まる。近江源氏あるいは佐々木源氏と呼ばれて繁栄し、各地に支族を広げた。

近江本領の佐々木嫡流は、経方ー秀義ー定綱ー信綱と継がれたが、信綱の死後、近江は4人の息子、重綱、高信、泰綱、氏信に分けて継がれ、長男の重綱は大原の祖、次男の高信は高島の祖、三男の泰綱は六角の祖、四男の氏信は京極の祖となる。すなわち、泰綱は近江守護職に任じ、江南(南近江)の滋賀郡、栗太郡、野洲郡、甲賀郡、蒲生郡、神崎郡の近江南六郡と京都六角の館を与えられて六角氏を名乗り、氏信は江北(北近江)の高島郡、伊香郡、浅井郡、坂田郡、犬上郡、愛智郡の近江北六郡と京極高辻の館を与えられて京極氏を名乗った。(兄弟四人のうちで、三男の泰綱と四男の氏信が厚遇された背景には、二人の母が執権北条泰時の妹であったことと、 近江国に強大な勢力を持つ有力御家人佐々木氏を牽制しようという幕府(北条執権)の狙いがあったと言われている。)

鎌倉政権において、六角氏は近江守護を世襲して六波羅を中心に活動し、六波羅評定衆などを務める。一方、京極氏は鎌倉を拠点として評定衆や東使など幕府要職を務め、北条得宗被官に近い活動をし、嫡流に勝る有力な家となり、その後の室町幕府においても足利政権における有力者となる。
すなわち、鎌倉時代における京極氏は、朝廷では検非違使、鎌倉幕府では引付頭人、評定衆、御相伴衆、政所執事、および近江、飛騨、出雲、若狭、上総、摂津の6か国の守護などを務めた。その後、室町時代においては、京極氏は四職(侍所所司になれる家)の一つとなり、以後の当主は代々江北、出雲、隠岐、飛騨の守護、ならびに侍所所司を務め、繁栄した。

京極家の当主は、室町幕府設立の立役者である高氏の後、高詮、高光、持高、高数と続き、それぞれ侍所所司として室町時代に頻発した乱の鎮圧にあたるが、先の将軍足利義持および将軍足利義教に信厚く寵遇された高数は、赤松満祐による足利義教の暗殺現場に遭遇し、細川ほか諸大名が逃げ出す中、孤軍奮闘し闘死した(嘉吉の乱)。

この事件の後、応仁元年の足利将軍家の家督相続から生じた応仁の乱がそのまま京極家中を巻き込み、近江国における京極家の家督相続の争い(京極騒乱)へと発展し、当主擁立を利用してのし上がろうと、それぞれの思惑をもつ周辺の守護代や国人(地侍)が2派に分かれて35年間争いを続けた。浅井もその国人(地侍)の一人であり、戦国時代前期にかけての近江における京極と浅井の関係は、京極の守護職、侍所所司という領主に対して浅井は一介の小国人であり京極の配下(家臣)であったが、下剋上頻発の戦国時代後期には京極家の跡継ぎ争い(京極騒乱)に加担、便乗して北近江において一過性に勢力をのばした。

お江が生きた時代(戦国時代後期〜安土桃山時代から江戸時代初頭にかけて)における「京極家とお江とのつながり」はと言えば、第2代将軍徳川秀忠の正室・崇源院(お江)の一番年上の姉:淀君(茶々)は豊臣秀吉の側室であり、二番目の姉:京極高次の正室である。そして彼ら3姉妹の父は浅井長政、母は織田信長の妹:お市の方であり、浅井長政の姉:於慶京極高吉の後室(京極マリア)であり、京極高次、京極高知、竜子の母である。また、当代随一の美人と謳われた高次の姉:竜子ははじめ武田元明の正室であったが、のち豊臣秀吉に恋慕され側室となる。そして、将軍徳川秀忠とお江との娘(四女:初姫)は京極高次と初の長男(初に子なく、側室の子):松江藩主:京極忠高の正室である。

ちなみに、お江の娘:和子は後水尾天皇に嫁ぎ、和子の娘は後に明正天皇となり、お江はミカドの祖母となる。そして、昭和天皇の母親の貞明皇后は、2度目の結婚である羽柴(豊臣)秀勝とお江との子:完子の末裔:九条節子である。したがって、現在の皇室は、貞明皇后を通して織田氏、浅井氏、豊臣氏、徳川氏の血を受け継いでいることになる。すなわち、お江は第3代将軍・徳川家光の母、第109代明正天皇の外祖母、第124代昭和天皇以降の皇室の先祖でもある。
▼ 徳川秀忠の正室・崇源院(お江)の供養塔

極楽橋&蓮池

極楽橋&蓮池

極楽橋&蓮池

徳川秀忠夫人崇源院(お江)

徳川秀忠夫人崇源院(お江)供養塔

徳川秀忠夫人崇源院(お江)供養塔

徳川秀忠夫人崇源院(お江)供養塔

徳川2代将軍秀忠の室・お江の供養塔

徳川第2代将軍秀忠の正室・崇源院(お江)の供養塔
江の一番年上の姉:淀君(茶々)は豊臣秀吉の側室であり、二番目の姉:京極高次の正室である。

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