先祖の足跡を訪ねて −京極家の家紋とその変遷−|「生命と微量元素」講座<荒川泰昭>

「生命と微量元素」講座

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先祖の足跡を訪ねて

京極家の家紋とその変遷

祖父までの家系図(源氏・佐々木家・京極家・益田家)

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先祖伝来の家系図の如く、わが家系の家紋は宇多源氏の紋「隅立四ツ目結」である。
■京極家の家紋とその変遷

−江戸時代以降、宗家となった京極家系の家紋が「平四ツ目結」となっている理由を考察する−
先祖伝来の家系図の如く、わが家系の家紋は宇多源氏の紋「隅立四ツ目結」である。戦国時代末期までは佐々木源氏の嫡流である六角氏が「隅立四つ目結」紋を用い、分家(庶子家)の京極家は 「平四つ目結」を用いて嫡庶の区別は厳格になされていたとする説もあるが、応仁の乱末期のころに成立したという『見聞諸家紋』を見ると、六角家に代わり近江守護となった佐々木大膳大夫入道生観すなわち京極家当主の持清が佐々木氏惣領の紋「隅立四つ目結」を用いていたことが収録されており、佐々木宗家(六角家)だけが「隅立四ツ目結」を用いたとするこの説はおかしくなる。

京極家や六角家の家名は都におけるそれぞれの屋敷地名から起こった名称であり、本姓は宇多源氏であり、佐々木氏を源流とするものである。したがって、戦国時代末期まではあくまでも佐々木京極家、佐々木六角家であり、両家は佐々木氏として同じ嫡流の宇多源氏の家紋「隅立四ツ目結」を用いていたものと考えるべきであろう。

しかし、江戸時代以降、宗家となった京極家系の家紋が「平四ツ目結」となっている。これは、おそらく、佐々木氏の嫡流(宗家)である六角氏が戦国時代末期に織田信長侵攻により没落したため、江戸時代になると最も嫡流に近い家格の京極家が佐々木氏の嫡流(宗家)扱いを受けるようになった背景とともに、京極諸家の中から宗家となった京極家系がもともとは庶子家で京極騒乱時に分家より家督相続した家系(庶子・高清)であったことによるためか、あるいは宗家となった京極家系が何らかの理由で、例えば分家(庶子家)と区別するために、家紋を変え「平四ツ目結」としたためではないかと思われる。そして、江戸初期に改めて認められたわが家系図の如く、逆に分家となった京極家系は宗家に憚り従来どおり嫡流の家紋である「隅立四ツ目結」を用いて来たものと思われる。そして、さらに嫡流から遠い存在(支流)は「七ツ割、十一割、十三割、丸や市松などの繋ぎ四つ目結」など変形「四ツ目結」を用いるという風に、京極氏を中心とした家格付けで家紋の区別がなされたものと思われる。

しかるに、先日訪問した佐々木源氏の氏神である沙沙貴神社の神紋が「七ツ割平四ツ目結」となっていることは非常に疑問であるが、これは本神社が江戸時代の天保14年(1843年)に京極諸家の1つで江戸時代に宗家から分かれた庶子家の丸亀藩主京極家によって再建されたときに、当京極家の紋「七ツ割平四ツ目結」に替えられたものと考えるべきであろう。  (荒川泰昭 記)
 

隅四ツ目結

平四ツ目結

七ツ割平四ツ目結

        隅立四ツ目結 
平四ツ目結 
   七ツ割平四ツ目結

七ツ割隅立四ツ目結 

十一割隅立四ツ目結

十三割平四ツ目結

        七ツ割隅立四ツ目結
十一割隅立四ツ目結
  十三割平四ツ目結

丸に隅立四ツ目結

丸に平四ツ目結

市松四ツ目結(乃木家)

       丸に隅立四ツ目結
丸に平四ツ目結
 市松四ツ目結(乃木家)

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