科学的知見や情報における不確実性の取り扱いについて|「生命と微量元素」講座<荒川泰昭>

「生命と微量元素」講座

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科学的知見や情報における不確実性の取り扱いについて

科学的知見や情報における不確実性の取り扱いについて
 先月来、厚労省所管機関より国費にて発刊の国際雑誌Industrial HealthにおけるエデイトリアルEditorial の執筆を依頼され、論説の趣旨を何にするか原稿締切り直前までその選択に迷ったが、結局 ”Editorial; Immunotoxicity Risk Assessment for Chemicals and Regulatory Science”というタイトルで、昨年WHO/IPCSより初めて発布されたばかりのガイダンスドキュメント「化学物質の免疫毒性リスクアセスメント」に焦点を当て、その中で最も考慮すべき「不確実性Uncertainty」の問題を取り上げた。

 生活圏における化学物質の安全性確保のための行政の決定や措置が必ずしも社会において同意、納得を得られないことがあるのは、その原因の1つとして科学的知見の実用化における不適正の存在、すなわちレギュラトリーサイエンス(Regulatory Science)による意思決定における不適正の存在が考えられること。したがって、行政の決定や措置が社会において同意、納得を得るためには、科学的知見や情報などの科学的産物をいかに適正に社会へ橋渡しするかが重要であり、その橋渡しの質を向上させるためには、架け橋として有用なレギュラトリーサイエンスの見地から増大・蓄積する最新の科学産物を出来るだけ広範に調査し、それらの不確実性を補正あるいは減らし、科学ならびに社会の両方に適切な決定が下されるべく適正に評価して、社会や患者へ実用化し、社会貢献できるようにすることが重要であることなどを論説した。

 1974年、著者は予防医学の立場から、従来の毒性学ではなく、脳−神経機能、免疫機能、内分泌機能のような主な生体機能を個々に毒性評価するリスクアセスメントの必要性を痛感し、それぞれの学問体系を構築すべく研究を開始し、それぞれの毒性科学を脳−神経毒性学 brain-neurotoxicology、免疫毒性学 immunotoxicology、内分泌毒性学 endocrinotoxicologyとして提唱した。1974年におけるこれらの生体機能毒性学 biofunctional toxicologyの命名や概念は日本において最初である。

 それ以来、これら毒性科学の中で、免疫毒性学は急速な発展を遂げ、現在では成熟した毒性学の下位分野として認められており、しかも有害因子に関する情報がやっとリスクアセスメントに利用され得る状態に到達したことで、今回のWHO/IPCSガイダンスドキュメントの発布が実現した。
本WHOガイダンスでは免疫毒性データに対する不確実性因子の取り扱いについて苦慮しながらも同一種間、異種間、およびデータベース間(必要な場合には基盤、用途、時間などの因子を加味して)などの観点から個々に考察されている。しかし、現在のところ、それぞれの不確実性の取り扱いは、実用化のレベルでは不十分であり、とくにその後に続く臨床データや疫学研究の予言者たるにはあまりにも不十分である。

 従来、不確実性を補正する方法としてはLOAEL / NOAEL、 ADI / TDI 、RfD / RfCなどが利用されているが、免疫毒性リスクアセスメントは免疫系への化学物質暴露による意図しない影響(例えば、免疫抑制における感染や発がん、免疫亢進における高感受性/アレルギーや自己免疫など)の可能性を評価するものであるため、そこにおける不確実性の補正は極めて複雑であり、難しい。しかるに、日進月歩で科学の進歩と共に科学的知見や情報などの科学産物は急速に増大・蓄積し、それに伴って不確実性因子も溢れている。
「化学物質の免疫毒性リスクアセスメント」はやっと軌道に乗ったばかりであるが、こうした現況を鑑み、今後は前述の如く、レギュラトリーサイエンスの見地から科学的知見や情報を出来るだけ広範に調査し、適正に評価し、不確実性因子を解析し、補正し、実用化していく努力が望まれる。

 広く一般毒性におけるリスクアセスメントを見ても、量―反応関係においては、有害性(中毒症の存在)の面からは許容限界量(RfD)、最小毒性量(LOAEL)、最大無毒性量(NOAEL)、有益性(欠乏症の存在)の面からは有効量(ED)、治療量(TD)、所要量(RDA)などの不確実性を補正する薬理学的物差しがあるが、毒性領域も栄養や治療領域も1つの直線上にあり、亜鉛の研究においても然りである。
 本誌の編集とは直接関係はないが、紙面を戴いたので、科学における共通課題である「科学知見の社会への導入あるいは貢献のための不確実性の取り扱い」についてその一端を述べさせていただいた。これは亜鉛という化学物質を扱う諸々の場面においても同様に考えられるべき課題であり、拙著に絡めて一考していただければ幸甚である。

 例えば、免疫抑制における感染や発がん、免疫亢進における感受性亢進(アレルギー)や自己免疫、基礎的には分化、増殖、細胞死など免疫系における亜鉛関与の系についてはもちろんのこと、摂取や投与ばかりでなく他の微量元素の攪乱による亜鉛の量的変動など@量の問題(欠乏と過剰が存在する。現在の多くのRDA・RfD設定には摂取量/投与量が用いられているが、真の量は作用量を基本とすべきであること。他はすべて代替量であること)や微量元素間の相互作用(とくに拮抗作用)、微量元素と薬物間の相互作用、食物成分(ミネラル)と薬物間の相互作用などA相互作用の問題、さらに臨床の面では血液その他の組織中における健常あるいは疾病の診断・評価のための閾値(threshold)や基準値(reference value)についても不確実性の取り扱いの観点から亜鉛を当てはめて一考していただければ幸甚である。
不確実性の取り扱いについて
荒川 泰昭
日本免疫毒性学会 名誉会員
日本微量元素学会 前理事長
日本微量栄養素学会 名誉会員
厚労省(独)労働安全衛生総合研究所 客員

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