先祖の足跡を訪ねて ― 高忠像(重文)所蔵の大徳寺芳春院(京都)―|「生命と微量元素」講座<荒川泰昭>

「生命と微量元素」講座

先祖の足跡を訪ねて

高忠像所蔵の大徳寺芳春院(京都)と高忠の遺功

8代目・京極高忠像(重文)所蔵の大徳寺芳春院(京都)を訪ねて

学会&講演出張の帰途、出発前の時間を利用して、京都在住の高校同窓・木山克明君のドライブ兼案内で、京極高忠多賀豊後守像(重文)所蔵の加賀藩主・前田家菩提寺・大徳寺芳春院(京都)を訪ねる。2015年4月11日

大徳寺周辺地図

大徳寺山内図

大徳寺由緒

■ 大徳寺・芳春院 (加賀藩主・前田家菩提寺)

京都市北区紫野にある大徳寺塔頭22院の中の1つ。前田家の菩提寺。臨済宗大徳寺派。本尊は釈迦如来。加賀百万石の祖・藩主前田利家の正室・松子が、子・利長、利常とともに、隣接の大仙院(六角近江守政頼の創建)と総見院(豊臣秀吉が創建した織田信長菩提寺)の寺内を買い上げて創建。院号は松子の法号「芳春院殿花巖宗富大禅宗定尼」による。開山は大徳寺147世・玉室宗珀、開基は茶人・片桐石州による。通常は公開されず、撮影禁止。

芳春院・楼門

芳春院・参道

護国禅窟

芳春院・山門
芳春院・参道
庫裏 護国禅窟

芳春院庭園への廻廊

芳春院庭園への廻廊

庭園への廻廊

芳春院・庭園 方丈前庭(花岸庭)

芳春院・庭園 方丈前庭(花岸庭)

芳春院・庭園 方丈前庭(花岸庭)

■ 芳春院・庭園 方丈前庭(花岸庭)

本堂(方丈:客殿)南側にある枯山水式の方丈前庭「花岸庭」。白砂敷きは大海を表わし、本堂の縁までは現世を意味し、右手(南西)の石組、岩山は悟りの世界を表わしているという。作庭家・小堀遠州の真意までは読み取ることが出来ないが、確かに、現世から悟りの世界へと間にある大海を泳ぎ(あるいは漕ぎ)あるいは波に身をまかせ漂う道程や試練を表わしている様にも感じ取れる。また、平易には山渓から湧き出でる水が大海へ注ぐ大自然の摂理を表わしている様にも感じ取れる。

芳春院・庭園 方丈前庭(花岸庭)

芳春院・庭園 方丈前庭(花岸庭)

芳春院・庭園 方丈前庭(花岸庭)

芳春院・庭園 方丈前庭(花岸庭)

枯山水式の方丈前庭「花岸庭」
本堂(方丈、客殿)
▼ 高忠の遺功
高忠は武家故実に明るく、小笠原持長に弓馬故実を学び、騎射に精妙を極め 『高忠聞書』 を著した。『高忠聞書』 は弓術における研究資料、及び当時の故実を知る史料として現在まで重要な役割を果たしている。また当時の知識人の1人であり、和歌、連歌に長じ、名庭として名高かった京都の私邸では、しばしば歌会を催していたという。歌僧・正徹の 『草根集』 に和歌10首が載せられている。著作に 『多賀高忠聞書』、『美人草』 ほか、『就弓馬儀大概聞書』、『弓矢相伝之事』、『射手検見次第』 など多数がある。とくに聞書には、寛正5年11月、小笠原備前守持長、その子持清、佐々木加賀入道などに聞いた内容が記されている。「絹本著色多賀高忠像」(国重要文化財指定)が大徳寺芳春院にある。<参考文献>二木謙一「故実家多賀高忠」(『中世武家儀礼の研究』)
■ 重要文化財 

絹本著色高忠多賀豊後守像(享徳元年(1452年)九月 養斐老拙宗願(1376〜1458年)賛) 所蔵:京都府京都市 芳春院蔵   員数:一幅 掛幅装 絹本著色 竪104.2 横53.6 容:朝臣金吾都官大理大源宗本居士(俗名 高忠)

高忠多賀豊後守の肖像画

美人草

美人草

高忠多賀豊後守の肖像画
松平定信作(江戸時代 寛政7年)
美人草
美人草

高忠聞書

高忠聞書

「高忠聞書」「就弓馬儀大概聞書」(島津藩旧蔵・玉里文庫))(鹿児島大学複写提供)

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