大学院設置(便乗・環境研)の申請および認可に至るまでの経緯(Rel)|「生命と微量元素」講座<荒川泰昭>

「生命と微量元素」講座

大学院設置(便乗・環境研)の申請・認可に至るまでの経緯

環境研設置を便乗させての「大学院設置」の申請および認可に至るまでの経緯

■ 大学院設置(便乗・環境研)の申請および認可までの経緯
The Circumstances of application and approval for the establishment of Graduate School (Piggybacking: Institute of Environmental Science)
赴任前の米国滞在中より、赴任の条件として「研究が十分に出来ること」を強調していたにもかかわらず、帰国してみれば、若手の教授は、外部からの新任(荒川、小橋、竹石、野沢)、旧任(伊勢村)、合わせて5名しかおらず、しかも、教授の頭数に対して助手の数半分以下というお粗末な編成であった。すなわち、助手は専属の研究室を持たない編成であった。これでは研究云々のレベルではない。ましてや、大学院設置申請など、烏滸がましいにも程がある。

早速、主要な大学院設置審査委員でもある懇意の京都大学医学部系の教授(現在では公表許可:糸川嘉則)に現状を話し、少なくとも各研究室に1名の助手を配置することを設置審査資格条件とするよう頼んだ。その結果、各研究室に1名の助手を配置することが実現した。

また、この時期、内薗学長が突然研究室に来られて、「薬学部の矢内原学部長が、多数在籍の40〜50代の助教授・講師・助手の対外進出(栄転や異動)が難しい。ポスト拡大のために、分析センターの設立を、わが学部の大学院設置申請便乗させてほしいと頼んで来たが、君はどう思うか、意見を聞かせてくれ」と問われた。「分析センターのオペレーターでは可哀そう過ぎる。便乗設置するならば、職位の付く正式な大学付属研究所とした方が良いのでは」と回答した。

その後、薬学部の矢内原学部長からも訪問があり、種々の話の中で「環境科学研究所なる名称を使いたいので、私の方の大学院の申請講座名には、出来れば「環境」の文字は使わないで欲しい」との要望があった。「いきなり環境科学ではハードルが高すぎる」「気象・地理系の自然的環境は別として、生体系等の社会的環境では、各種生体機能に対する有害性(阻害性)を見極める中毒学毒性学などを熟知あるいは探究できなければ、単なる分析オペレーターになってしまう」とは申し上げたが、意を汲んで私の方は、環境の文字を削り、あくまでも生命科学の領域を維持し、本邦初の名称「生体衛生学」とした。

(実は、大学院の申請講座名の1つとして、人を取り巻く全ての事象を「環境」(広義)とする「環境衛生学」を候補に挙げていたが、この件が、私自身の今後のスタンス(将来への方向性)を再考する良い切っ掛けともなった。国内で名を売り、肩書を求めていく「上っ面」な生き方であれば、ニュースバリューのある環境問題を次々に手掛け、マスコミに乗ることも可能かつ容易であるが(また、現大学の研究環境下では、この方がむしろ安易な道であるが)、これでは学究者としてはあまりに空しく、また虚しい人生となる。逆に、国際舞台で切磋琢磨し、リードして行くことを続けるのであれば、それに値するだけのレベルの高いアカデミックな「新知見」の発掘・生産や究明が必要である。結局、必須科目の「環境衛生学実験」など、学生への講義における学科目上の問題はあるが、これまでに環境生命科学領域の仕事は誰よりも十二分に経験して来たことでもあり、また今後の栄養生命科学領域への進展を考慮すれば、敢えて研究室名を「環境・・」と名乗る必要もなく、将来的には「環境」を生体への有用性(栄養)と有害性()の両面から捉えた「生命科学の領域」に身を置くことが本望であると考えた。

こうして始まった大学院の申請であるが、予想通り、この申請も一筋縄ではいかなかった。わが学部においても資格問題はあるが、とくに、便乗申請である薬学部からの環境科学研究所の申請について、東京大学薬学部系の先輩教授(現在では公表許可:)からは、東京での会合の折、「あの申請陣容では「環境科学」を専門に唱えられるレベルの申請者は1人もいない。レベル的にも経験的にも不合格」と自らが審査員であることを知らしめるべく、評価を伝えてくれた。環境科学のレベルからして、もともとゴリ押しの感は拭えず、当然ながら1度目の申請ならず、2度目の申請でも不合格であった。3度目の申請で、「環境科学における専門知識と経験のある人材を核に置くことと今後の精進を担保に、要経過観察の条件で何とか見切り発車が許された。これがのちの環境研である。

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