先祖の足跡を訪ねて −高氏像(重文)所蔵の京極高氏(道誉)菩提寺・勝楽寺(滋賀・甲良町)−|「生命と微量元素」講座<荒川泰昭>

「生命と微量元素」講座

先祖の足跡を訪ねて

4代目・京極高氏(佐々木道誉)像所蔵の菩提所・勝楽寺

4代目・高氏像(重文)所蔵の京極道誉菩提所・勝楽寺(滋賀)を訪ねて

大阪へ学会出張の帰途、奈良の学会へ参加の妻と合流して、出発前の時間を利用して、京極高氏道誉像(重文)所蔵の京極道誉菩提所・勝楽寺(滋賀・犬上郡甲良町)を訪ねた。 2015年8月2日。
住職のご好意で、平常は公開されない道誉の肖像画(国指定重要文化財・現国立京都博物館寄託)を訪問に合わせてご開帳いただき、拝覧させていただいた。

勝楽寺周辺地図

勝楽寺周辺地図

琵琶湖線・河瀬駅

琵琶湖線・河瀬駅

琵琶湖線・河瀬駅

37度以上(京都は39度)の猛暑の中での訪問

勝(正)楽寺への案内

勝(正)楽寺への案内

■ 勝楽寺(京極家4代目・京極高氏佐渡守・佐々木道誉菩提所)
勝楽寺(京極道誉菩提所): 
慶雲山勝楽寺は滋賀県犬上郡甲良町字正楽寺にあり、東海道線河瀬駅の東南10km、多賀大社の南4kmに位置している。この寺域は、南北朝動乱期の近江守護大名として、また室町幕府成立の立役者であり、侍所所司を務める四職家の1つとして当代における傑出した武将、佐々木京極高氏道誉が、多賀、河瀬両氏を前衛として居住していた旧・館址であって、勝楽寺もまた道誉を開祖として創建された。すなわち、道誉41歳の時、この地に臨済宗東福寺派の僧・雲海和尚を招いて慶雲寺勝楽寺(現在は建仁寺派)を開き、そこに館を構えた。寺号は道誉の諡号・勝楽寺殿徳翁道誉によって命名した。(村名も明治初期に大字正楽寺と改めるまでは勝楽寺と称していた。)その後、応安6年(1373年)に78歳で生涯を閉じるまで勝楽寺に隠棲した。

京極高氏菩提寺・勝楽寺

京極高氏菩提寺・勝楽寺

京極高氏菩提寺・勝楽寺

京極高氏菩提寺・勝楽寺

京極高氏菩提寺・勝楽寺

京極高氏菩提寺・勝楽寺

勝楽寺・山門(重文):住職のお話では、以前は国宝扱いであったという。室町時代の特徴である「六脚門」である。もともとは背後の山にあった勝楽寺城の城門を移築したものとされ、織田信長の侵攻による大火にも免れ、わずかに残ったものの1つだといわれる。

鐘楼

鐘楼

山門の軒瓦にはすべて京極家紋・四ツ目結家紋が入っている。

京極高氏菩提寺・勝楽寺

本堂の前

京極高氏菩提寺・勝楽寺

京極高氏菩提寺・勝楽寺

本堂
道誉記念堂

道誉記念堂

道誉記念堂

大日如来坐像(重文)を安置する収蔵庫「大日堂」
鐘楼
▼ 本堂・祭壇前:道誉が650年以上前に使っていた椅子

京極高氏菩提寺・勝楽寺

京極高氏菩提寺・勝楽寺

道誉の像に描かれている650年以上前に使っていた曲椅子
▼ 本堂・祭壇:道誉の位牌

京極高氏菩提寺・勝楽寺

京極高氏菩提寺・勝楽寺

京極高氏菩提寺・勝楽寺

位牌戒名:勝楽寺殿前延尉徳翁道誉大居士
▼ 道誉の肖像画(国指定重要文化財・現国立京都博物館寄託)
道誉の肖像画(国指定重要文化財・現国立京都博物館寄託): 
平常は公開されないが、住職のご好意で訪問に合わせてご開帳いただいた。縦154cm、横54cm、精巧な彩色で曲椅子に座せる法衣姿の肖像画である。道誉の三男・高秀の画に、道誉自身が端正な筆跡で讃を書いている。格調高い詩の中に、南北朝の動乱期を生き抜いた武将の哲理が窺われ、人道を示唆している。因みに、道誉は武力だけでなく、文化的教養も極めて高く、今日の伝統芸術である能・狂言はもとより、茶、花、香などの芸道の真意を発掘して、その興隆に尽力した。その点でこれら芸道の開祖とされる聖徳太子に比して、諸芸道の中興の祖と称される。

京極高氏菩提寺・勝楽寺

京極高氏菩提寺・勝楽寺

京極高氏菩提寺・勝楽寺

京極高氏菩提寺・勝楽寺

京極高氏菩提寺・勝楽寺

京極高氏菩提寺・勝楽寺

京極高氏菩提寺・勝楽寺

鴨居&欄間には京極家紋・四ツ目結紋が彫られている。

大哉心乎

掛け軸

掛け軸

大哉心乎(おおいなるかなしんや)「建仁寺」開山・栄西禅師画賛(京都「建仁寺」所蔵と同一のもの)
禅宗の開祖・達磨画賛 大非山圓通寺・祖栄謹呈
円覚寺派管長(鎌倉)
円覚慈雲
▼ 道誉の念持仏・大日如来坐像(国指定重要文化財)
大日如来坐像(国指定重要文化財)恵心僧都の作といわれる秘仏で、藤原時代の代表的霊像。道誉の念持仏で、法量91cm寄木式彫眼漆箔の手法による木造坐像。古来より安産の霊験ありとして参拝者が多い。織田信長の侵攻により勝楽寺が焼き討ちに遭った際、本堂後方の池の水のお蔭でこの大日如来坐像ほか、六脚門大日堂などが焼失から免れたという。

収蔵庫「大日堂」

大日如来坐像

収蔵庫「大日堂」
大日如来坐像
▼ 京極家4代目・京極高氏佐渡守(佐々木道誉)墓所
佐々木京極高氏道誉墓所: 勝楽寺殿前延尉徳翁道誉大居士 応安6年8月25日卒(1374年)。墓石は本堂の西北境内の一画に祀られ、高さ120cm、南北朝時代の大名の宝篋印塔としてふさわしいものであるが、織田信長侵攻による兵火の際(戦国の争乱時に伊賀に逃れた佐々木六角承偵の公達を当寺に匿ったことで当寺も放火され、山門を除いて当初の寺観を失った。)にその塔身の一部を欠損している。

道誉の墓所

道誉の墓所

本堂裏手より
道誉の墓所入り口

 道誉墓碑

 道誉墓

 道誉墓

高氏(道誉)の墓所

 道誉墓

 道誉墓

道誉墓
佐々木家代々霊位

西蓮池

西蓮池

大池(織田信長の侵攻により勝楽寺が焼き討ちに遭った際、本堂後方にあるこの池の水のお蔭で大日如来坐像ほか、六脚門大日堂などが焼失から免れたという)

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