大連友好記念館(旧国際友好記念図書館)|「生命と微量元素」講座<荒川泰昭>

「生命と微量元素」講座

レトロ門司」復興への道

大連友好記念館(旧国際友好記念図書館)

大連友好記念館(旧国際友好記念図書館)

■ 歴史
大連友好記念館旧国際友好記念図書館)は、門司港レトロ地区(福岡県北九州市門司区東港町1-12)にあり、北九州市と中国・大連市の友好都市締結15周年を記念して、平成6年(1994年)に建築され、北九州市により整備された、歴史的建造物の複製建築物である。

設計者:日本設計(複製設計)、 施工:安藤建設、事業主体:北九州市、 管理運営:株式会社ビービーディオー・ジェイ・ウェスト・アクティオ株式会社共同企業体(指定管理者)、構造形式:鉄筋コンクリート造、 延床面積:806 m² 、階数:地上3階、着工:1993年6月、竣工:1995年1月、所在地:〒801-0852福岡県北九州市門司区東港町1番12号、

旧門司税関は、明治22年(1889年)、門司港が石炭、米、麦、麦粉、硫黄を扱う国の特別輸出港に指定されたことで、長崎税関の出張所として設置された。開港後の輸出入も順調に伸び、明治34年(1901年)には貿易額で長崎港を上回るようになる。大阪に次いで全国第4位と国内有数の貿易港へ発展したことから、明治42年(1909年)11月5日に長崎税関から独立し、日本で7番目の税関として発足した。

並行するように、明治22年(1889年)、門司港が石炭、米、麦、麦粉、硫黄を扱う国の特別輸出港に指定されたことを契機に、旧日本郵船・門司支店や旧大阪商船・門司支店など、国内有数の海運会社や船舶会社が門司港に門司支店を設置した。例えば、旧大阪商船(のちの商船三井ビル)は、明治24年(1891年)に、門司営業所を開設した。開設後の輸出入も順調に伸び、明治30年(1897年)には門司支店に昇格させた。現在の旧大阪商船ビル(のちの商船三井ビル)は、旧大阪商船の門司支店として、大正6年(1917年)に建設されたものであるが、当時の門司港は、大陸航路一大拠点であり、旧大阪商船ビルも日清戦争後には朝鮮台湾、その後は大連中国大陸への航路の拠点となり、昭和10年(1935年)頃が最盛期であったという。

以上のような時代背景の下、中国の遼東半島にある都市・大連市は、門司港とは、国際航路で結ばれ、交流が盛んに行われていた。昭和54年(1979年)には、北九州市と大連市は友好都市を締結し、更なる交流を深めてきた。そして、友好都市締結の15周年を記念して、また「門司港レトロ事業」の一環として、平成6年(1994年)、門司港レトロ地区に大連友好記念館旧国際友好記念図書館)を建築した。ロシア帝国が、明治35年(1902年)に、大連市に建築した東清鉄道汽船会社事務所(ロシア統治下で建設され、日本統治下では旧日本橋図書館として利用された建物)を、そっくり複製建築したもので、現地の赤煉瓦を使ったドイツ様式の3階建てで、茶と白のコントラスト、煙突や屋根に取り付けた窓(ドーマー)などのデザインがクラシックな雰囲気を醸し出している。なお、現在大連にある建物も複製である。

この門司港レトロ地区に複製建築された建物は、平成7年(1995年)に「国際友好記念図書館」として開館され、1階は中華料理レストラン、2階は中国・東アジアの文献を収蔵した図書館、3階は資料展示室として利用された。蔵書では、中国をはじめとする東アジア関係の図書や資料が充実しており、中でも、東洋の古今東西が書かれた「東洋文庫」(平凡社)の所蔵の豊富さに定評があったという。また、中国語のマンガや中国の絵本なども人気だったという。しかし、後述の如く、北九州市によって運営されて来た「国際友好記念図書館」は、平成28年(2016年)2月に策定された「公共施設マネジメント実行計画」に基づき、平成30年(2018年)3月をもって図書館としての機能は廃止され、観光施設に移管されることとなり、平成30年(2018年)3月30日をもって図書館は閉館となった。

以下、復元保存を実現させた行政側の努力に敬意を表しエピソードを交えて紹介する。

大連友好記念館(旧国際友好記念図書館)

大連友好記念館(旧国際友好記念図書館)

大連友好記念館(旧国際友好記念図書館)

大連友好記念館(旧国際友好記念図書館)

国際友好記念図書館(大連記念館)

国際友好記念図書館(大連記念館)

大連友好記念館(旧国際友好記念図書館)
■ 復元・保存への道
▼ 門司港レトロに友好都市・大連の歴史的建造物を!
北九州市は大連市と姉妹都市である。平成元年12月、北九州市で開いた両市長交流会末吉市長は、「門司港レトロ大連歴史的建造物を導入したい。ぜひご協力をお願したい」と要請した。これに魏富海市長は、「友好のためにも大変よろしい。積極的に協力したい」と応えた。
末吉市長は第一候補として、大連港埠頭円形ターミナルを想定していた。早速、川上秀光・北九州都市協会理事長(元東大工学部教授)を団長とする調査団6人は、平成2年5月24日から7日間にわたり現地調査を行った。市長がイメージしていた本命の埠頭ターミナルはすでに取り壊されていたため、止むを得ず、代替候補として、旧東清鉄道事務所、旧星ケ浦別荘、大連駅前商店街、スターリン路オフィスビルなどを挙げ、現地当局と相談する。しかし、旧東清鉄道事務所などは、大連としても大事な建物だから、日本に譲り渡すことは出来ないとの回答。移築が困難となるとレプリカを造るしかない。複製建築をするのであれば、最低限、@ 時代の建築物としての希少性や様式、デザイン、空間の特異性など歴史的価値、A 美しさと技能集約性を備えた美学的価値、B 複製後の効果も考えた社会へのアピール力、の3点を必要な基準としたい。検討した結果、川上調査団は、「門司港地区に複製する歴史的建造物としては、旧東清鉄道事務所が一番ふさわしい」と結論した。さらに、川上団長の希望により、建築史専門家で中国建築史に詳しい村松伸・東大生産技術研究所研究員に、同年10月、同様の調査をしてもらったが、結論は川上調査国の結論と同じであった。これらの結果から、複製の対象として旧東清鉄道事務所を選定することが決まり、平成3年7月8日、末吉市長と魏大連市長は協定書に調印した。
▼ 旧東清鉄道事務所の複製を「国際友好記念図書館」として
日清戦争後の明治28年(1895年)、下関条約における露独仏の三国干渉で、日本が得た遼東半島を清国に返還すると、ロシアはすかさず清国から遼東半島租借権を獲得して東清鉄道を敷設した。そして、明治35年(1902年)に建設したのがこの事務所である。ドイツ人技師の設計によるとされるが、1階と2階は煉瓦や石積みの外壁で、3階の切妻屋根の下の破風には、柱・梁・筋交いなどのティンバー(木材)の骨組みを露出させ、その間を煉瓦、石、漆喰などで埋めて外壁とする北方ヨーロッパ(英、独、仏)の木造建築技法:ハーフティンバー(半木骨造)様式を用いている。

その後、日露戦争では、日本が遼東半島の権益を確保して、南満州鉄道を植民地経営の中核に据えたため、旧東清鉄道事務所満鉄大連倶楽部と名称を変え、内外紳士の社交場として利用されることになる。「歓声常に堂に満ち和気藹藹たり」と当時の様子が記されている。そして、大正15年(1926年)からは、旧満州在住者にはなじみ深い「日本橋図書館」として運営された。

さて、複製を造るには設計原図が必要だが、図面は残っておらず、精密な実測による図面の引き直しが必要となった。そのため、平成3年10月5日末次文雄北九州市建築局営繕部長を団長に、九大、九州芸工大、設計業者の専門家14人から成る調査団が、現地に向かい、12日間にわたる調査を行った。日本側団員と大連市技術者で3人1組のチームを4班編成し、精密な実測を行なった。また、実測調査と並行して機械測量、文献調査、周辺建物調査などを行い、設計原図の代替となる復元図を作成し、同行した設計業者(日本設計)によって纏められ、平成4年3月、「大連市の歴史的建造物調査報告書」として提出された。(ちなみに、市が作成した設計図は、のちに大連市が旧東清鉄道事務所を復元するときに再使用され、日中友好の産物となった。)

前年の平成3年3月に提出された川上調査団の報告書では、門司港の歴史的建造物との相乗的効果を高めるには、旧東清鉄道事務所の複製は、単なる観光目的の「はりぼて式」の復元ではなく、厳密な学術的かつ本格的な復元が必要であることを強調していた。今回の末次調査団を派遣して実測調査、文献調査などを実施したのも川上報告書の求めによるものであり、複製建築に用いるレンガ、石材についても現地産使用を視野に入れての調査であった。
行政としては、大連市との友好都市締結15周年にあたる平成6年までに完成させるためには、平成3年10月までに実測調査を終えて、新年度予算に工事費を盛り込む必要があった。さらに精度の高い学術調査を求める学者側と時間制限のある行政側との間で葛藤があったが、平成3年8月19日出口企画局長は私案として、@ 複製にあたっては、地震対策、来館者の安全確保の意味から建築基準法の一般的基準により設計する。A 外観、内壁は可能なかぎり創建時の姿に復元する。B 完成は友好都市締結15周年の平成6年とする。C 複製にあたっては、レンガ、石材など現地で調達する。D 調査は、日中で創建時の設計把握のため共同して行う。必要なら学術調査団を別途編成するなど考慮する。などを提示し、学者側の主張を考慮しながらも、時間制限に協力を求めた。

この時期、行政側には、もう一つ別の事情があった。門司港レトロ事業(「ふる特」対象)で進められている旧門司三井倶楽部の復元工事で、経費と時間が予想を大幅に超過している事態に悩まされていたのである。

上記提案に沿って、準備が開始されたが、レンガ積み上げによる復元工事は技術的に困難であり、耐震性で建築基準法をクリアするのは無理であることがわかった。出口局長は、躯体を鉄筋コンクリートで造り、外壁にレンガを貼りつける工法を提案したが、もっと高いレベルの復元をめざすべきであるとして、川上理事長は拒絶した。レンガや石材など、現地産の材料調達のため、平成4年7月第3次調査団が派遣された。ところが、ビル建築に使えるレンガや石は、現在の大連では製造されておらず、困窮したが、参加していた中国人研究者が考案したレンガが堅くて建築に十分使えることがわかり、現地調達が可能となった。旧東清鉄道事務所は大理石を使っていたが、この調達は無理である。代替となる石を求めたが、大連郊外の石山で御影石が切り出されていることがわかり、これを現地調達することにした。

このような経過を経て、平成5年6月10日、旧東清鉄道事務所の複製建築工事が着工された。工事は順調に進み、翌6年12月13日、「国際友好記念図書館」として開館した。土地代を含め総事業費13億円。時期的に「ふる特」に間に合わなかったものの、自治、建設両省共管のツインフロント・プロジェクトに採択され、国の支援を受けることができた。すなわち、本事業は、県境の地域づくりを両省が協同で支援する事業であったため、狭い海峡で山口県と接する門司港はその対象として認められた。

ここで、何故図書館にしたのか、それには理由があった。着工前の平成5年1月、北九州市が買い取りに失敗し、トリオエ業が取得していた目と鼻の先の旧三菱倉庫が解体工事を開始した。跡地にバチンコ店とかラブホテルを建てられては、レトロ構想は破壊される。現にバチンコ進出の情報があった。その防御策として同年9月、市条例により図書館とすることを決めた。これにより近接地に風俗営業店舗は開設できなくなった。ささやかな環境浄化の知恵だったという。
▼ 国際友好記念図書館を「大連友好記念館」として再開設
北九州市が平成28年(2016年)2月に策定した、公共施設マネジメント実行計画に基づき、平成30年(2018年)3月をもって図書館としての機能は廃止され、観光施設に移管されることとなり、平成30年(2018年)3月30日をもって図書館は閉館、同年10月1日より大連友好記念館として開設された。

平成31年(2019年)で、北九州市と中国・大連市の友好都市締結は、40周年を迎えるが、この節目の年に、両都市の交流の歩みなどを紹介する「大連友好記念館」が、貿易の窓口として栄えた門司港レトロ地区に開設された。北九州市が、国際友好記念図書館として運営していた建物を改装し、大連市の紹介映像のモニターや中国語の観光パンフレットの配布スタンドなどを設置。友好都市締結40周年を契機に、経済、文化など多彩な交流を支えてきた日中の民間団体は、記念館を拠点にした両市の交流イベントの企画や展示に協力。北九州市は、記念館を拠点に観光情報の発信機能を高め、両都市のさらなる交流促進を目指すという。
記念館の開設に際し、大連市の民間団体「人民対外友好協会」が、現地の映像解説パネルを展示、同じ港湾都市として発展を遂げた大連市の魅力を紹介する。NPO法人「北九州市大連交流協会」がモニターを設置し、パネル展示と併せ交流の歴史を紹介する。北九州市は、飲食もできる休憩スペースを設け、中国語の観光パンフレットの配布コーナーなどを設置する。また、門司港レトロ中央広場で、両市の友好促進を目的に結成された女性音楽グループ「中国大連女子楽坊」による演奏も行われる。

旧門司税関 左奥に大連記念館

旧門司税関の左奥に大連友好記念館
▼ 館内施設
国際友好記念図書館として開館中は、1階に平成8年から営業している大連業者直営の中華料理レストラン『大連あかしあ』があり、本場の味を売り物にしていた。補助金事業においては、旧門司三井倶楽部と同様に、料理店営業は原則的には認められないが、こちらは料理実習室という名目でクリアしているという。2階と3階は中国関係中心の図書館であった。日本統治時代に図書館(大正15年より「日本橋図書館」として)だった歴史が現在に生かされていた。

今回、改装され、平成30年(2018年)10月1日より新たに開設された観光施設「大連友好記念館」では、1階は同様に大連業者直営の中華料理レストラン『大連あかしあ』があり、2階は誰でも自由に休憩ができる「門司港レトロ交流スペース」と友好都市大連の様々な情報を発信する「大連市紹介コーナー」、3階は地元まちづくり団体等の活動の場「地域コミュニケーションスペース」となっている。
<資料:中学同窓・稲佐重正君提供>
<写真:中学同窓・田中文君撮影>
参考資料:1.ルネッサンスの知恵 第3号 門司港レトロヘの道すじ 財団法人北九州都市協会(平成14年2月)、2.北九州市新・新中期計画 北九州市(昭和55年4月)、3.ポート門司 21 北九州市職員研修所(昭和57年)

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