電力王・松永安左衛門(耳庵)の終の棲家「老欅荘」(小田原)を訪ねて|「生命と微量元素」講座<荒川泰昭>

「生命と微量元素」講座

電力王・松永安左衛門の終の棲家「老欅荘」

数奇茶人・松永安左衛門(耳庵)の終の棲家「老欅荘」を訪ねて

東京の奥座敷・箱根湯本温泉にて静養中、電力王・松永安左衛門(耳庵)の終の棲家「老欅荘」&松永記念館(小田原)を訪ねる。 2017年2月19日

電力王・松永安左衛門の終の棲家「老欅荘」(小田原)を訪ねて 

電力王・松永安左衛門の終の棲家「老欅荘」(小田原)を訪ねて 

電力王・松永安左衛門の終の棲家「老欅荘」(小田原)を訪ねて 

電力王・松永安左衛門の終の棲家「老欅荘」(小田原)を訪ねて 

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電力王・松永安左衛門の終の棲家「老欅荘」(小田原)を訪ねて 

電力王・松永安左衛門の終の棲家「老欅荘」(小田原)を訪ねて 

▼ 老欅荘
老欅荘」は電力王・松永安左衛門「耳庵」が夫人とともに小田原に移り住むために3000坪の敷地に建てた終の棲家である。この家で晩年を過ごすかたわら、当時の有名な茶人、政治家、学者、建築家、画家などを招き、多くの茶会を催したという。建物の名称は登り口にそびえる樹齢400年の欅の大木に由来したものである。「耳庵」は最後の数奇茶人と呼ばれ、益田孝「鈍翁」(三井コンツェルン設立者・男爵)、原富太郎「三渓」(明治〜大正前期の実業家。富岡製糸場所有・絹貿易の富で横浜復興)と共に、近代日本三茶人の一人である。

老欅荘

老欅荘

老欅荘

電力王・松永安左衛門の終の棲家「老欅荘」(小田原)を訪ねて 

電力王・松永安左衛門の終の棲家「老欅荘」(小田原)を訪ねて 

老欅荘

老欅荘

老欅荘

三井財閥の益田鈍翁旧蔵の九重塔(小田原掃雲台・益田邸の「春雨庵」にあったもの)

電力王・松永安左衛門の終の棲家「老欅荘」(小田原)を訪ねて 

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老欅荘(本玄関)

電力王・松永安左衛門の終の棲家「老欅荘」(小田原)を訪ねて 

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電力王・松永安左衛門の終の棲家「老欅荘」(小田原)を訪ねて 

十畳広間(客間)と縁座敷

耳庵像:電力王・松永安左衛門の終の棲家「老欅荘」(小田原)を訪ねて 

夫人像:電力王・松永安左衛門の終の棲家「老欅荘」(小田原)を訪ねて 

電力王・松永安左衛門の終の棲家「老欅荘」(小田原)を訪ねて 

電力王・松永安左衛門の終の棲家「老欅荘」(小田原)を訪ねて 

電力王・松永安左衛門の終の棲家「老欅荘」(小田原)を訪ねて 

益田孝(鈍翁)書  「和漢朗詠集」祝 益田鈍翁書「詩歌屏風」部分複製

電力王・松永安左衛門の終の棲家「老欅荘」(小田原)を訪ねて 

電力王・松永安左衛門の終の棲家「老欅荘」(小田原)を訪ねて 

電力王・松永安左衛門の終の棲家「老欅荘」(小田原)を訪ねて 

茶室「松下亭」躙口(にじりぐち)

茶室「松下亭」躙口より露地&蹲踞(右下)

電力王・松永安左衛門の終の棲家「老欅荘」(小田原)を訪ねて 

茶室「松下亭」躙口より見る露地&蹲踞(右下)
十畳和室(夫人の部屋)より見る露地

電力王・松永安左衛門の終の棲家「老欅荘」(小田原)を訪ねて 

電力王・松永安左衛門の終の棲家「老欅荘」(小田原)を訪ねて 

電力王・松永安左衛門の終の棲家「老欅荘」(小田原)を訪ねて 

水屋
水屋
三畳茶室

電力王・松永安左衛門の終の棲家「老欅荘」(小田原)を訪ねて 

電力王・松永安左衛門の終の棲家「老欅荘」(小田原)を訪ねて 

電力王・松永安左衛門の終の棲家「老欅荘」(小田原)を訪ねて 

三畳茶室(寄り付)

老欅荘・夫人の部屋

老欅荘・夫人の部屋

老欅荘・夫人の部屋

十畳和室(夫人の部屋)

八畳和室(鎖の間)

八畳和室(鎖の間)

八畳和室(鎖の間)、右手奥は水屋

八畳和室(鎖の間)、北側の面。他の部屋と同様に鴨居と敷居の溝は一本で簡素化し、北側板敷部分の天井は煤竹を割って並べ白漆喰で止めたもので、一部漆喰が垂れている。その一見無造作に見える仕立ての中に、素朴さの中に隠れたバランスの美を滲ませている。
▼ 松永記念館
電力王・松永安左衛門(耳庵)は、古美術収集家としても知られ、収集された古美術品の一部は東京国立博物館に寄贈され、残りは自宅庭に建てられた記念館「松永記念館」に収蔵されたが、現在は福岡市美術館京都国立博物館などに分蔵されている。

電力王・松永安左衛門の終の棲家「老欅荘」(小田原)を訪ねて 

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電力王・松永安左衛門の終の棲家「老欅荘」(小田原)を訪ねて 

松永耳庵書 「心平気寧」
松永耳庵 書 「尽人事委天命」
耳庵 自画賛 「堂ヶ島鬼童窟」

電力王・松永安左衛門の終の棲家「老欅荘」(小田原)を訪ねて 

電力王・松永安左衛門の終の棲家「老欅荘」(小田原)を訪ねて 

松永 安左エ門
明治8年、長崎県壱岐島の旧家の長男に生まれ、14歳で福沢諭吉を慕い慶応義塾へ入塾。石炭商で大儲けし、北九州での電力に目を向け九州電気株式会社を設立、電力業経営へと注力する。東邦電力(九州電力の前身)を中心に、東北電気東京電力など約100社を支配下に置き、昭和26年、電力技術研究所を設立(のちに電力中央研究所に改組)。電力設備の近代化と電源開発を推進し、昭和46年、96歳で亡くなるまで電気事業の世界に、そして経済界、産業界、政界に多大の影響を与え続け、近代日本の発展を導いた。とくに、戦後日本の高度経済成長の礎となる電気事業の分割民営化を成し遂げ、「電力王」「電力の鬼」と呼ばれた。勲一等瑞宝章叙勲者。

そば処:箱根暁庵

そば処・箱根「暁庵」

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